後ほどBook Logにも掲載予定ですが、三宅香帆さんの『考察する若者たち』を読み終えました。今回は本書の中でも、自身の関心やこれまで取り上げてきた概念のアップデートにつながりそうなポイントを書き留めておきたいと思います。
まず印象的だったのは、「『推し』の時代、『萌え』の時代」というセクションで語られていた、「推し」が誰であるかがアイデンティティの一部になっているという視点です。本書では「『推し』は自分のアイデンティティを指す言葉としても使用される。つまり、『私の推しは〇〇です』という表現は、『私とは〇〇を好きな人間です』という意味を内包している」と述べられています。
「推し」を明かすことで自分のアイデンティティを簡単に示せる一方で、同じ対象を推す人々と括られることで、個別の具体的な自分が見えにくくなる側面もあるのではないか感じました。ただこれについても、今の時代は下手に個別性を発揮すること自体のリスクが大きく、最適化を求める志向性のあらわれであると説明されており、非常に納得させられます。
また、「SNSはもはや承認欲求を満たす場ではない」のセクションも興味深い内容でした。TikTokやYouTubeにおいて、多くのユーザーは発信者ではなく受容者であるという実態が示されています。総務省の「令和5年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によれば、TikTokの利用率は全年代で32.5%、10代で70%、20代で52.1%、Xの利用率は全年代で49%、10代で65.7%、20代で81.6%となっており、10代ではTikTokの利用率がXを上回っています。しかし、TikTokで実際に動画を投稿したことがある人の割合はわずか5.1%にとどまっているそうです。
XやInstagramのように発信と受信の双方向性を持つSNSとは異なり、TikTokでは「いいね」などを通じた承認欲求の獲得ではなく、アルゴリズムによって最適化された(今の多くのユーザーの「報われたさ」に最適化された)短尺動画を大量に消費すること自体が報酬となっている点が指摘されています。さらに、TikTokでの小説紹介を例に挙げ、作家名などの固有名詞ではなく「どんでん返しが起きる」といった物語の展開そのものが切り取られて注目を集めている現象を紹介し、「インターネットが固有名詞をどんどん解体している」とも論じられていました。
こうした現象が、共通の正解を知りたがる「考察ブーム」などの動きとどのように結びついているのか、自分が日頃追っているメディアの実際の言語現象とどう関わるのかについては、まだ頭の中で整理しきれていません。それでも、自分自身がどうありたいか、今後メディアとどのように付き合っていくべきかを深く考えさせられる、非常に楽しく刺激的な一冊でした。
参考
三宅香帆(2025)『考察する若者たち』PHP新書
Keywords
アイデンティティ, ソーシャルメディア